楷の木会の設立にあたって


楷の木会 会長 吉村 正伸(一期生)

私が環境情報学部に入学したのが97年の春のこと。その頃は、インターネットという言葉が一般的になりつつある中でも、e-mailなどはまだ、一部の人のコミュニケーションツールでしかなかった時期でした。それから気が付けば10年という歳月が過ぎています。時代は大きく変わったとまでは言えませんがCOP3で京都議定書が採択されたころから比べれば日々の生活の中で"環境問題"や"地球温暖化"という言葉を聞く機会は格段に増えました。e-mailなどのインターネットを媒介したコミュニケーション形態は、ブログやソーシャルネットワークシステム(SNS)まで広がり、携帯電話をはじめとした携帯端末のコミュニケーションは遥かに我々にとって身近なものとなりました。

こうした私たち学部を取り巻く"環境"と"情報"の状況は刻々と変わり、そしてまたこれから先もこれらの2つのキーワードは私たちの生活の中でその重要性を増しています。大学で学ぶ立場から離れて早6年近くが経ちますが、当時に学んだ"環境"と"情報"に対する意識が生活の中でも何かしらの判断をすることに少なからずの影響を及ぼしていることを感じます。これらの意識は今後私たちが生活していく上での重要なリテラシーとなると思います。

楷の木会は、これから徐々にその活動の幅を広げていきたいと考えていますが、OB/OG会の重要な役割の一つである同窓生の関係維持と交流を促進するという手法については積極的にインターネットを中心とした新しいコミュニケーションツールを導入していきたいと考えています。また、同窓生だけのつながりだけでなく現役の学生とOB/OGがコミュニケーションについても社会人と学生との双方にメリットのあるような仕組みを考えていきたいと思います。単なる学生の就職活動のためのOB/OG訪問といった形でのコミュニケーションの関係だけでなく、OB/OGが自分の仕事を進める上で学際的なアプローチが必要になった際などの学生・大学とのコミュニケーションについても架け橋となるような仕組みも提供できたらと考えています。

こうしたコミュニケーションの仕組みは、私たちOB/OGと大学との関係性を何らかの形で維持していくことの一助になると考えていますが、それは結果として私たちの"環境"と"情報"に対するリテラシーの維持と研鑽の一助としての価値もあると考えています。いささか展望としては壮大すぎるかとも思われますが、これからOB/OG各位を始めとして、大学、現役学生の皆さん、また武蔵工業会各位のお力添えを頂きながらこうした理想の形に少しでも近づけられるよう活動を進めていきたいと思います。

楷の木会設立に寄せて


環境情報学部長 増井 忠幸

環境情報学部も本年で開設10周年を迎え、多くの記念事業も企画され、次の10年に向けて新たな歩みを始めようとしています。このたび環境情報学部の卒業生の会「楷の木会」が発足しました。おめでとうございます。長年の歴史を有する武蔵工業会の構成組織として有意義な会に成長していかれることを期待しております。

第1期の卒業生の皆さん、覚えていますか?皆さんの入学時に、私は教務委員長としての挨拶の折、次のように申し上げました。「皆さんが入学されたこの学部には歴史がありません。しかし、10年、200年の歴史を誇る組織にも、第一年目がありました。今日から皆様と共に、誇れる歴史を創る第一年目のスタートを切りましょう」と。本学部は多くの教職員と学生たちの新しい学問領域への熱い情熱をもってスタートしました。その後あっという間に10年の歴史が刻まれようとしています。この間多くの卒業生を送り出し、先日も新聞紙上に掲載されたごとくすでに多くの方々が多方面で活躍されています。まことに喜ばしく私どもの誇りとするところです。また、その当時の熱い情熱は今も受け継がれていることと確信しております。

環境情報学部は、"環境と情報を人類の問題として捉え、社会科学的な見地から持続可能社会の実現を目指す"という基本理念の下に設立されました。卒業生の皆様方には、好むと好まざるとにかかわらず、この「設立の精神」がしみこんでいるものです。私の母校の校歌に「集まり散じて人は替われど、仰ぐは同じき理想の光」というのがあります。大学の本質を言い表している言葉として私が最も大切にしている言葉です。環境情報学部はこれからも新しい領域の確立を目指して、常に研究・教育を推進していかねばなりません。そのためには教職員・学生の努力はもちろんのことですが、卒業生の方々の活躍と協力が大きな推進力になります。「持続可能社会の実現」という、おそらく人類にとって永遠の課題の下に集まった多くの校友が、卒業後も心を一にして強力なネットワークを構築し、広く社会に貢献していきたいものです。

卒業後しばらくは、あまり母校のことは気にならないかもしれませんが、何年か経るうちにそのありがたさを感じる機会に遭遇するものです。皆さんの、希望に満ちた、あるいはほろ苦い、多感な青春時代を過ごした学び舎での思い出を糧に、このキャンパスで学んだことを誇りとしてこれからの人生をしっかりと歩んでいって欲しいと思います。

本学の校歌にもあるように、「武蔵工大その名こそ、わが青春の故郷なれ」。皆様方自身の力によって「楷の木会」が、皆様の故郷となり、心の糧となるべく100年、200年の歴史をしっかりと刻んでいかれることを祈念しております。

このページの一番上へ

楷の木と横浜キャンパス


環境情報学部初代学部長 小沼 通二

2006年6月3日に開かれた武蔵工業大学環境情報学部同窓会「楷の木会」設立総会の当日、キャンパスに集まった多くの卒業生に会うことができた。懐かしい顔に会い、元気な様子を聞くことができてうれしい一日だった。

ところで、環境情報学部在学中に学部の発展に貢献した学生に贈る賞の名前も、2001年3月の第1回卒業式以来「楷の木賞」である。楷という字は、文字の書き方の楷書の楷である。漢和辞典を見ると、きちんと整っている手本とか法(のり)という意味だと書いてある。楷の木とはどんな木なのか、なぜ環境情報学部のシンボルが楷の木なのかについて紹介しておこう。

楷の木は、春には多数の淡黄色の花をつけ、秋には美しい黄色や朱に紅葉する落葉樹で、大きく育てれば高さが30メートルにもなり、樹齢は数百年に達する。雌雄異株であって、実をつけるまでに20年ほどかかる。原産地は中国・台湾・フィリピンで、植物の分類では、ウルシ科ピスタキア属の木で、和名は「ナンバンハゼノキ」とか「トリネバハゼノキ」という。

横浜キャンパスには、楷の木が、コートの周辺や遊歩道沿いに数十本育っている。中国山東省の曲阜にある孔子の墓“孔林”の楷から採れた種を曲阜市から贈られた山浦啓榮君(曲阜市名誉市民で、わたくしの中学時代の友人)が、島田照男君(彼も中学での友人)の協力を得て育てた若木を、1997年3月に学部開設記念として寄贈してくれたのである。

2500年ほど前に孔子が亡くなった後、弟子たちは3年間喪に服し、墓の周りに全国から集めた木を植えて去り、弟子の一人の子貢がさらに3年墓を守り、楷の木を植えて立ち去ったといわれている。これらの木の子孫が広大な孔林になっていて、ユネスコの世界遺産に指定されている。日本にある楷の木は、1915年に曲阜の木の種を持ち帰って育て、孔子にゆかりの地や教育研究機関に分けたのが始まりで、すべて曲阜の木の子孫だといわれている。そのため楷は「学問の木」とされて、大切に扱われてきた。

私の知る限り、日本では横浜キャンパスほど大量に持っているところはない。年々元気に育っているので、キャンパスの発展とともに、将来が楽しみである。

このページの一番上へ