ガリレオとデカルトの機械論哲学/ボイルの実証主義/ニュートンの自然哲学
ヨーロッパ中世の大学で教えられていた自然哲学は,古代ギリシアのアリストテレスの自然学でした.アリストテレス自然学は,それ以上還元不可能な本源的な性質として熱・冷・乾・湿を定義し,それぞれが火・空気・土・水という「四元素」の物質によって担われているとしました.ここでは,性質のほうが物質よりも第一義的な存在です.つまり,物は性質によって説明されるのであって,その逆ではありません.それを逆転させたのが,17世紀の科学革命においてガリレオやデカルトによって創出された機械論的自然観でした.機械論的自然観では,性質は物体の運動によって現れる,二義的なものとなります.しかし,機械論的自然観は,実験科学を確立したボイルに受け継がれ,ニュートンに受容される過程でさらに変質し,再度,物在論(物に固有の性質がある)へと変化してゆきます.このような考え方の変化や対立は,世界における神の位置をどのように考えるかという神学的な議論と結びついていました.まだ,宗教と科学は同じ水源から発して並行して流れる川のように,多数の支流や運河で結ばれて交流していたのです.例えば,ニュートンは,宗教家であり,かつ錬金術師でもありました.→授業pdfファイル
機械論哲学(mechanism)による自然観
- ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galiei, 1564−1642)の『贋金鑑識官』(1623年)での主張:物質の色や匂いや味や手触りなどの可感的性質は,感覚主体との関係においてのみ存在する主観的なもの(第二性質)であり,物体の形状・個数・配置・運動(位置変化)のみが客観性を持つ第一義的なもの(第一性質)であるという立場,(山本義隆『熱学思想の史的展開1―熱とエントロピー』,2008年,ちくま学芸文庫,41頁)
- ルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596−1650)の機械論哲学:当時発達した機械(特に時計)のメカニズムをもとに,自然も神が作った精妙な機械であると考える.機械の各部分は,それ自体としての意思を持たない,受動的な物質である.しかしその部品が,機械製作者の意思に基づいて組み立てられて機械になると,製作者とは独立に動き始める.これは,ある種のカトリック神学と非常に近い考え方である.神はこの世界を作ったが,その世界を人間に任せて退いたのである.また,物質を受動的な物とみなし,製作者(つまり神または人間)の意思のみに能動性を認める考え方は,精神と物質,心と身体の二元論的考え方をもたらした.
- 火に近づくと私は熱を感覚するし,あまりにもそばに近づけば苦痛を感覚しさえするにしても,火のなかにはそうした熱に類似した何ものかがあると,またそうした苦痛に類似した何ものかがあると,〔私を〕説服する〔ことのできる〕なんらの根拠もまさしくない.(『省察』)
- 哲学者たちがしているように,熱,冷,湿,乾と呼ばれる性質を私が使わないのを見て奇妙だと思われるならば,私は次のように言いたい.これらの性質はそれ自体が説明を要するように見えるし,また私たちの間違いでないとしたら,これら四つの性質ばかりでなく他のすべての性質も,生命のない物体のあらゆる形相さえも,その形成のためそれらの物質の内にその諸部分の運動・大きさ・形・配列のほかは何一つ仮定する必要なしに説明されうるのである.(『宇宙論』)
- 機械論哲学では,機械の歯車と歯車のように,物質は互いに接触しなければ運動を伝えることはできない.したがって,イタリアのガリレオやその弟子たちはケプラーの法則(離れた太陽と惑星の間に相互作用関係があることを示唆する)を認めようとはせず,フランスのデカルトの追随者たちはニュートンの重力の法則(離れた物体同士が力を及ぼしあう)を批判した.

ストラスブール大聖堂の時計
1574年に完成したが,その後損壊し,1870年代に再建されたもの.
この時計は,時間を示すだけでなく,太陽や月の回転を示し,蝕の計算もする.左の塔の上には,鶏の形をした自動機械が置かれ,毎日3回鳴いた.
ヨハネス・ケプラーも,ロバート・ボイルも,自然を時計仕掛けのようなものとして考えていた.
フランシス・ベイコンの帰納主義的方法=近代科学
- フランシス・ベイコン(Francis Bacon, 1561-1626):イングランドの哲学者.観察や実験によって得られた事実をもとに,一般的な心理へと至るのが適切な方法である.=「帰納的」かつ「経験に基礎づけられた」手続き.
- 正しい自然哲学を作り上げるための条件は,自然についての正しい事実を集めることである.「これまで,理解に供するための調査は,量においても,種類においても,確実さにおいても十分には行われていなかった.」
- それまでのアリストテレス哲学による「経験」概念は,個別的な事実ではなく,普遍的な言明のことだった.ガリレオですら,実際に実験を行ったことは稀で,多くは頭の中の思考実験であったと言われる.
- ベーコンは,次のボイルとともに,個別具体的な経験,つまり観察を重視すべきことを説き,そのなかに人工的かつ意図的な経験,つまり実験をも含めた.
ロバート・ボイルの経験主義
- ロバート・ボイル(Robert Boyle, 1627-91):実験助手として雇ったロバート・フック(Robert Hooke, 1635-1703)とともに,真空ポンプや水銀柱を用いた気体の実験を行った.気体の体積と圧力に関するボイルの法則で有名.
- ベイコンの帰納主義的方法の哲学に基づいて,実験による経験を科学的探究の基礎にすえた.「私が主要に意図することは,ほとんどすべての質が機械論的に作り出されているのだということを,実験によってあなたがたに納得させることである」(『形相と質の起源』1666年)
- 1660年に出版した著書『空気のばねとその効果に関する新しい物理学的・力学的実験(New Experiments Physico-Mechanicall, Touching the Spring of the Air, and its Effects)』で,初めて科学的な実験結果を客観的かつ定量的に記述した.この実験は,証明するという目的を達成するために,特別に考案された装置を用いて,定量的に測定された近代的な実験の先駆けである.
機械論哲学の批判者としてのアイザック・ニュートン
- 粒子間に働く「遠隔力」としての「力」の観念を案出した.
- 「さまざまな運動の現象から自然界のいろいろな力を研究すること,そして次にそれらの力から他の現象を説明論証すること」がニュートンの自然哲学であった.しかし,「遠隔作用」は,当時の機械論哲学の考え方からあまりにも隔たっており,これらの力の担い手として,「エーテル」の存在を仮定した.
- 機械論哲学の創始者であるデカルトの理論では,神以外に能動的な原理はなく,物質はつねに受動的存在である.しかも,その神は,最初に世界に運動を与えるだけで,その後は「運動の保存」によって物質が機械のように働く.ガリレオもまた,デカルトと同じように考えた.しかし,ニュートンはデカルトの機械論哲学を無神論に近づくものだといって批判した.つまり,この世界には,神の存在の延長としての,能動的原理がなければならない.それが,力であり,それを媒介する「エーテル」である.
- このようなニュートンの考え方の背景にあるのは,当時イギリスの大学で盛んであった新プラトン主義,そして錬金術の思想であった.