武士道 新渡戸稲造
武士道とは、
騎士道の規律、高い身分に伴う義務
武士が守るべきものとして要求され、あるいは教育を受ける道徳的徳目の作法。
義
道理に任せて決定して猶予せざる心
「仁は人の安宅なり、義は人の正略なり」(孟子)
「正義の道理」こそ、無条件に従うべき絶対命令であるべき
親に対する行為においては愛情が唯一の動機である。だが万一、愛情をもてなくなったときには、親に対して孝養を命ずる何か別の権威が必要である。そのような事実から義理は生まれたものだと思う。
勇
「義を見てせざるは勇なきなり」(孔子、論語)−勇気とは正しいことをすることである。
「人が恐れるべきことと、恐れるべきでないことの区別」こそ勇気である。(プラトン)
道徳的勇気と肉体的勇気の区別。
勇気の精神的側面は落ち着きである。つまり、勇気は心の穏やかな平静さによって表される。
「おのれの敵を誇れ。されば汝の敵の成功は汝自身の成功となる」(ニーチェ)
「われらローマ人は金をもって戦わず。鉄をもって戦う」(カミラス)
仁
民を治める者の必要条件は「仁」にあり
愛、寛容、他者への同情、憐憫の情はいつも至高の徳、すなわち人間の魂がもつああらゆる性質の中で最高のものと認められてきた。
「君子は先ず得を慎む。得あればここに人あり、人あればここに土あり、土あればここに財あり、財あればここに用あり。得とは本なり、財とは末なり。」(孔子)
「不仁にして国を得る者は、之有り、不仁にして天下を得る者は、未だ之有らざるなり」(孟子)
「仁とは人なり」(中庸)
「義に過ぐれば固くなる。仁に過ぐれば弱くなる。」(伊達政宗)
もっとも剛毅なる者はもっとも柔和な者であり、愛ある者は勇敢なる者である。
仁の心を持っている人は、苦しんでいる人、落胆している人のことをいつも心にとめている。
優しい感情を育てることが、他者の苦しみに対する思いやりの気持ちを育てる。他者の感情を尊重することから生まれる謙虚さ、慇懃さが礼の根源である。
礼
礼とは他人に対する思いやりを表現すること。
礼とは、他人の気持ちに対する思いやりを目に見える形で表現することである。
礼は、「長い苦難に耐え、親切で人をむやみに羨まず、自慢せず、思いあがらない。自己自身の利を求めず、容易に人に動かされず、およそ悪事というものをたくらまない」ものであるといえる。
礼儀作法について
もっとも無駄のないやり方が、もっとも奥ゆかしい方法である。
優雅な作法を絶えず実践することは余分な力を内に蓄えるにちがいない。
礼儀は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、いつも優美な感受性として表われる。
誠
真実性と誠意がなくては、礼は道化芝居が見世物のたぐいにおちる。
「貴族を商業から締めだすことは権力者に富を集中させないためのほめられるべき政策である」(モンテスキュー) ローマ帝国では、貴族が商業に従事したために、国は滅亡した。
富の道は名誉の道ではない。
名誉
名誉は強い家族意識と結びついているので、真の意味では出生以前から影響を受けている。
「家族の結束が失われると、その社会はモンテスキューが名づけた名誉という根本的なちからを失ってしまう」(バルザック)
「恥は、すべてうの徳、立派な行い、およびすぐれた道徳の土壌である」(カーライル)
「人の一生は重荷を負うて行くが如し。急ぐべからず。勘忍は無事長久の基・・・。己を責めて人を責むるべからず」(徳川家康)
「人は咎めるとも咎めず、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲を棄ててこそ常に心は楽しめ」(熊沢蕃山)
「道は天地自然の物にして、人はこれを行なふものなれば、天を敬するを目的とす。点は人も我も同一に愛し給ふゆえ、我を愛する心を以て人を愛する也」(西郷南洲遺訓)
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」(西郷南洲遺訓)
名誉は「境遇から生じるものではなく」て、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳の人びとだけである。
若者が追求しなければならない目標は富や知識ではなく、名誉である。
忠義
「畏るべき君よ、わが身は御許に捧ぐ
わが生命は君の命のままなり
わが恥はしからず
生命を棄つるは我が義務なり
されど死すとも墓に生くるわが芳(かんば)しき名を
暗き不名誉の用に供することを得ず」(トーマス・モブレー)
武士は何を学び、どう己を磨いたか
知性を意味するときに用いられる「知」という漢字は、第一に叡知を意味し、知識は従属的な地位を与えられるにすぎなかった。
「学んで思わざればすなわち罔し(くらし)、思いて学ばざればすなわち危うし」(孔子、論語)
「私を生んだのは父母である。私を人たらしめるのは教師である」
「父母は天地の如く、師君は日月の如し」
どんな仕事に対してもその報酬を支払う現代のやり方は、武士道の信奉者の間ではひろまらなかった。武士道は無償、無報酬で行われる実践のみを信じた。
精神的な価値にかかわる仕事は、僧侶、神官であろうと、教師であろうと、その報酬は金銀で支払われるべきものではない。それは無価値であるからではなく、価値がはかれないほど貴いものであるからだ。
人に勝ち、己に克つために
武士道においては不平不満を並べ立てない不屈の勇気を訓練することが行われていた。そして他方では、礼の教訓があった。それは自己の悲しみ、苦しみを外面に表わして他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求めていた。
「アメリカ人の夫は人前で妻に口づけをして、私室で打つ。しかし日本人の夫は人前で妻を打って、私室で口づけをする」
寡黙は美徳?
「口開けて腸見する柘榴(ざくろ)かな」
感情を抑えることが常に強いられるために、感情の安全弁は詩歌にも求められた。
「蜻蛉つり今日はどこまで行ったやら」(加賀の千代)−先立った子供がいつものトンボ捕りにでかけていないのだ、と想像することでその悲しみをまぎらわそうとした。
切腹
名誉の失われしときは死こそ救いなれ、死は恥辱よりの確実なる避け所(ガース)
中世に発明された切腹とは、武士がみずからの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さを証明する方法であった。
「死を軽蔑するのは勇気の行為である。しかし、生きることが死ぬことよりいっそう困難な場合は、あえて生きることが真の勇気である」(サー・トーマス・ブラウン)
「平生何程口巧者に言うとも死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり」(17世紀の僧侶)
「わがため己が生命を失う者はこれを救わん」(キリスト)
刀
武士道は適切な刀の使用を強調し、不当不正な使用に対しては厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。
「血を見ない勝利こそ最善の勝利」(格言)
武士道は自己の個性を犠牲にしてでも自己自身をより高次の目的に役立たせることとした。
男女の差、女性差別について
私たちは差異ということと、不平等ということを区別することを学ばなければならない。
女性の地位を男性の地位と比べて、比率を数量的に算出することは、果たして正当で、かつ十分なことなのだろうか。このような計算の方法は、人間が蓄えているもっとも大切な価値、すなわち本質的なナチを考えにいればないことになってしまう。
大和魂
「たった一人の賢人が仲間の中にいればよい。そうすれば全員が賢くなる。伝染力というものはかくも急速である。」(エマソン)
社会的存在としては、武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。けれども彼らは道徳の規範を定め、みずからその規範を示すことによって民衆を導いた。
日本の知性と道徳は、直接的にも、間接的にも武士道の所産であった。
歴史の進歩とは「社会一般の中で生じる生存競争によってではなく、社会の少数の人々の中で、大衆を最善の方法で指導し、支配し、使役しようとする競争によって生み出されるものである。」(マロック)
武士道は甦るか
「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰、辞世の句)
武士道は日本の活動精神、推進力であったし、また現に今もそうである。
維新回天の嵐と渦の中で、日本という船の舵取りをした偉大な指導者たちは、武士道以外の道徳的教訓をまったく知ることのない人びとであった。
キリスト教の伝道は新しい日本の特性を形成するうえで、目立った影響は及ぼさなかったといってよい。
「日本が他の東洋の専制国家と異なる唯一の点は、人類がかつて考え出したことの中で、もっとも厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力をもつことである。」(ヘンリー・ノーマン)
国民全体に共通の折り目正しさはまぎれもなく武士道の遺産である。
日本人以上に忠誠で愛国的な国民は存在しない。
日本人が深遠な哲学をもちあわせていないことは、武士道の訓育にあっては形而上学の訓練が重視されていなかったことにその原因を求めることができる。
日本人の感じやすく、また激しやすい性質は私たちの名誉感にその責任がある。・・・日本人は尊大なまでの自負心をもっている、というのであれば、これもまた名誉心の病的な行き過ぎによるものである。
「人びとは世界を異教徒とキリスト教徒とに分けた。しかし前者にどれほどの善が隠されているか、また後者にどれほどの悪が混入しているかを十分考慮しなかった。」(ジョエット)
以上
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