自分をもっと深く掘れ 新渡戸稲造

第1章 ひとりよがりの生き方では先は絶対開けない 

正しく清い心をもち、心に欲をもたず、虚心に世を渡れば、必ず同じ志の人が現れ、あるいは隠れたままで我々を援助してくれる。

ひとりでも道を踏めば必ず道は固まり、次の者が歩むときに歩みやすくなり、こうして、後から来た人は、ますますはじめに踏み分けた人の恩を感謝するにいたる。

第2章 苦労が顔に出ない人の厚みと強さ

Be of good cheer (なんじ心安かれ)

そもそも怒りとはとかく人に移しやすいものである。苦しみはとかく愚痴として述べたいものである。不幸はこれを口外して、他人にの担ってもらいたく思うものである。

悪いということが証明されない限りは、すべてのことを善意に解釈する。このように善意に解釈すれば、嫌と思った人に対しても不愉快な念が消えてくる。

第3章 自分を発奮させる怒り、小さくしてしまう怒り

自分の利害に関係しないこと、または自分以上の主義のために怒ることであれば、それは正当な理由から出た正しい怒りであると思う。

怒りは敵と思え。(徳川家康)

1オンスの予防薬は1ポンドの服薬に値す。(英国の諺)

精神の最良の状態はそれを平坦に保つことなり。(デモクリトス、ギリシャの哲学者)

物事に怒りやすい性質であれば、それを制しようとする決心が大切なのである。

第4章 「誠実さ」こそ、いざというときの最大の財産

まごころを尽くせ、それが礼儀正しさとなる

少なくともあの重荷を尊敬せよ(ナポレオン、すべての人の人格を認め、労働を尊敬せよ)

社会的地位は違っても、人格はそのために左右されない。

人の長所を見るという考えを心にすえていれば、いかなる人に対しても尊敬の念が湧く。自分以上と思った人に接すると、それだけ自分も値打ちを上げるのである。
怒りとか無礼とかは、とかく部下に対しわがままをほしいままにするところより起こるものである。

法律のみで世渡りしようとするのは、ちょうど油の切れた車を運転するようなものである。

常に温かき同情をもって世に対するのが要点である。温かい同情で世の人を見れば、短い生命も心地よく愉快に暮らせる。

人と議論をするならば、・・・、相手の思うところは十分にこれを述べさせ、そののち正々堂々と自分の主張を発表し、攻めるべきことは攻めるべきである。・・・相手に譲って争うのが、敵に対する礼節である。

友人その他同等の人々に対する礼節は、これを形式的に表わすのではなく、相手に対し衷心から出た敬意を表明するものでなくてはいけない。

激しい言葉づかいをしたからといって、その人の値打ちがあがるものでではない。礼節を厳守することで他人を凌ぐのがよい。

相手の六の長所に目を向けて、四の短所に目をつむれ
人間は神や仏ではない。短所や欠点を探したなら、いくらでも発見できる。そして相手の短所を発見すれば、おのずからその人に対する尊敬の念は消え、無礼をもあえてするようになる。

人の上に立ち、人の長たるものは、必ずどこかに人より優れた長所がある。反省さえすれば、必ずそれが発見できる。これを発見すればそこに尊敬の念が起こり、礼節はおのずから起こるものである。

第5章 人の心を確実につかむ法

自分の実力以上に気取って見せる人間は絶対に伸びない
To put on air

自分をさらけ出して懸命に努力する者が結局は勝つ
Be yourself
人と応対する際に城壁を設けないようにするには、自分自身をさらけ出す自信を養うのがよい。

人と応対するときは、何か相手から利益を得るように心がけることが必要である。自分が知らないことは、はっきり知らないとしたうえで、相手から何かを学ぼうとするのである。

誰からでも学ぶことはできる。ただ注意すべきことは、相手の語りうる話題を選ぶことである。

第6章 小さい自分を捨てて常に本道を歩け

いかなる種類の疑いも、実行なしに解くこと能わず(カーライル)
百の理論よりも一の実行が尊い

小我は一つの磁石のようなもので、知らず知らずの間にあらゆる理由を、小我の方面に引きつけようとする。

小さな範囲であっても世の中を相手にするとか、何らかの責任ある地位に立って仕事をする者は、必ず団体の内部の調和を図るよう心がけなければ、一日たりとも仕事などできはしない。

どうしてもゆずれない一線は死守せよ。
妥協するにしても、利益を交換するにしても、その根本においては正義の観念に基づいて行われなければならない。

第7章 いい仕事、いい人生に絶対不可欠な感性の力・判断力

英雄人を欺く 英雄のように技能の卓越した人は、凡人にはわからないことがあるから、誤解を受けるのは当然であり、少しも怪しむにたりない。

長所があれば大いに発揮するがよい。しかし見せびらかすことはよくない。短所があればこれを補うよう努めねばならない。しかしこれを隠そうと努力するほどの必要はない。

心は目に表れやすく、性質は口に表れやすい。思想は手に最も早く表れやすい。

一時わずかの人を欺くことはたやすい。またしばらくの間多数を欺くこともできる。長い間わずかの人をあざむくこともできるw。しかし多数の人を長く欺くことは到底不可能である。(リンカーン)

世人は首を回すことは知っている。回して周囲に何があるか、自生はどうかを見分けることはずいぶんできるが、事に当たって少し上に首を伸ばし、前途を見ることを知らない。(勝海舟)

むやみに否定するのはたやすいが、確信より出る横振りは、強者でなければできない。

学問があるとか、怜悧であるとかとういことよりも、人間は強い心を持つのが最も大切である。

斜め振りは熟考思案を示す姿態である。

瞑想ほど恐ろしいものはない。悪魔の最も嫌うものは瞑想である。(カーライル)

熟考の上でやって失敗した者は、同じように倒れたにしても弾力があるようで、怪我の程度は少ない。

事に当たっては熟考せよ。横なり縦なりに頭を振る前にまず斜め振りせよ。

平生道を踏んでいる者でなければ、事に臨んで策はできないものある。(西郷隆盛)

あまりにも考えすぎる者は何事も成し遂げられない。(シラー、ドイツの詩人)

人はとかく見込みはつけやすいが、見切りはなかなかつけがたいものである。うまく見切りをつける人は非凡な人である。

第8章 存在感のある人間、代役のきかない人になれ

人の価値はそのミッスされる程度で測られるものである。

いかに技量のない人でも、いかに教育のない人でも、いかに地位の低い人でも、必ずいなければ困る人になり得る。

人に惜しまれることは望ましいが、自ら己を惜しむことは最も慎まなければならない。

惜しまれる人とは、自分の職務に忠実で、品格が高く、己を捨てて事業のため、主君のため、あるいは義のために働く人をいう。

取り柄のないひとは一日でも多数の長となることはできない。使われる人はこの長所を利用するよう努めねばならない。

第9章 その気になれば自分を磨く材料はどこにでもある

他人のアラ探しほど自分を惨めにするものはない。

この世に処する人は、性質の異なった者を容れるだけの雅量をもたねばならない。なんらかの仕事を起こそうとするときは、その仲間として必ず性質の異なった者を加えて、協力するよう努めるべきである。

人の欠点を一つあげれば、自分にも欠点が一つ加わり、人の人格をけなせば、それだけ自分の人格も小さくなる。

いかなる主義にしても、真面目にこれを崇拝する者は、反対者に対する悪口雑言を慎むべきである。

面前で悪く言っても、背後でよく言う者こそ、真の友人だ。

ほとんど疵のない玉はあるまい。仮にあったとしても、それはきわめて小さな玉である。人間もまた同じく、几帳面に小さくできた人は欠点は少ないかもしれないが、そんな人は器量が小さいために世の中のために役立つことも少ない。

人の批評を聞くと、批評される人物よりもかえって批評する人物の姿がおのずから現れてくる。口あいて腸(はらわた)見せる石榴(ざくろ)かな

他人の悪口を言わないだけでも大きな善行である。

人の小過を責めず、人の陰私を発かず(あばかず)、人の旧悪をおもわず、三つのもの以って得を養うべく、また以って害に遠かるべし。

第10章 自分に甘すぎるからつい泣き言が口に出るのだ

人類あるいはもう少し狭くいえば社会を自分そのものと見なせば、不平不満を言い出すことも少なくなるだろう。

第11章 人間学に通じる人の心配り、ふところの深さ

管鮑の交(管仲と鮑叔)

動機が正しくさえあれば、進んで同情心を行為に表した方が良い。

他人から同情を受けたいなどという考えをもたないほうがよい。

第12章 自分でとことん満足のいく人生を

自分は何のためにこの世に生きているのか、自分は何をしたらいちばん心を満足させうるかを問えばよい。その答えが見つかったなら、人生の目的という大問題の解答もおのずからわかるようになる。

偉いということは、自分の天性を全うし、その天命を喜び、自分が天より賜った力を十分に発揮し、自分の務めを忠実に尽くすことである。世にほめられるかどうかというのは、人の偉さを決する基準ではない。

見い出されることを求めるなかれ。

真に偉い人は、自分の地位に応じて相当の仕事をし、悠々として余力を保っているものである。小さい仕事であれば小さいなりに仕事をするが、誰が見ても、そんな仕事をさせるには人物が大きすぎるといわれるくらいのひとが偉いのである。

自分の現在の義務を完全に尽くすもおがいちばん偉い。

自分の職業や周囲の要求する義務を、いかにつまらなくとも、完全に成し遂げ、この人がいなくてはできない、この人がいなくては困る、といわれるほどにならなければ、自分の天職を全うしたものとはいえない。

以上