七三一部隊 生物兵器犯罪の真実 講談社現代新書 常石敬一

僕たち学生は最も教えられなくてはいけないことを教えられていなかったのです。
私たちは待っていてはいけないのだ。自分から知ろうとしなくてはならない。
私たちは歴史を学ぶのではなく、歴史から学ばなければならないのではないだろうか。そしてそのことを過去の過ちとしてとらえるのではなく、私たち人間の問題として自分の中でとらえ直さなければならないのではないだろうか。

こうした問題は相対的にその善悪を考えるのではなく、一つ一つの事実そのものの善し悪しを考え、判断していかなければならない。人として決してしてはならない行為というのは、他者との比較で考えるのではなく、それ自体独立のものとして判断することが必要だ。
軍事と非軍事とを分けるのは、極端にいえば、研究者の判断や医師だけだ。
重要なのは、監視ではなく関心だ。人々の期待が高ければ、科学者や技術者はそうした一般社会の期待に答えるような研究テーマに向かい、間違った道に迷い込むことは少ない。そうした意味で、最近の日本での、またいわゆる先進諸国での科学技術離れは気になるところだ。


人の性格によって善悪がなされるのではなく、制度によっている側面がある。少なくとも医者は専門職業人として自立した個人であるはずだ。したがって、制度に流されず専門職業人として各自の判断で行動することが、当時も求められていたし、今も求められている。

明治政府は責任や義務を切り離して、十九世紀ヨーロッパに定着した「専門職業人」の制度を導入した。そして彼らに対して、社会に対する宣言や自立した個人であることは求めず、政府に対する忠誠を求めた。それによって彼らに「お上」の一員としての尊敬が集まるようにした。そのように明治政府が設定した科学技術の枠組みは、現在でも壊れていない。

医者というのは専門職業人として社会に尊重されている。それはつまり、医者は社会に対して「人の生命を助ける、苦痛を軽減する」と宣言(profess)、つまり約束している人々だということだ。

医者としてのもっとも基本的な社会的約束を破った同僚を受け入れるとういことは、受け入れた側も、つまりこの場合は日本医学界もまた、その時点で医者としての宣言を破棄したことになるのではないだろうか。

医者とは、死という人間にとってもっともじゅうようなもんだいをじぶんひとりのせきにんできめなければならない、誰よりも「個」の確立を求められている人種である。

科学者であるということは、論文を書くことで初めてその存在を認められる。公表できない「科学」は科学ではない。科学者が科学者であることができるのは、人類共通の知的財産に公正な方法でなにがしかの成果を加えることによってのみだ。

自立した個人が生きる社会であって始めて、ことして自立した専門職業人が生まれることはいうまでもない。

大きな力を持った科学を研究する人は、専門バカという社会性を欠くいた人であってはいけないということだ。自分の判断で行動できず、他人の言いなりになる人も科学者となる資質を欠いている。

日本政府がどれほど日本自身の歴史について冷淡か、無視しようとしているか、あるいはさらに言えば、隠そうとしているかを、明らかにできれば幸いだ。

証言・人体実験 同文館
消せない記憶
日の丸は紅い泪に 教育資料出版会 越定男
医学者たちの組織犯罪 朝日新聞社 常石敬一
ガリレイの生涯 ブレヒト 岩淵達治 岩波文庫

以上