魔術はささやく 宮部みゆき
人間の心というのは、両手の指を組み合わせたような形をしているのではないかと思うことがあった。右手と左手の同じ指が、互い違いに組み合わされる。それと同じで、相反する二つの感情が背中合わせに向き合って、でも両方とも自分の指なのだ。
差別には強い伝染力があり、子供には対抗する力がない。そして子供というのは、時には進んでそれに感染し、伝播させることがある。なぜなら面白いからだ。
鍵というものはな、ほかでもない、人の心を守るものなんだよ。・・・心の錠前をーそれを「信用」と呼ぶ人もいる・・・
おまえの親父さんは悪い人ではなかった。ただ、弱かったんだ。悲しいくらいに弱かった。その弱さは誰の中にもある。お前のなかにもある。そしてお前が、自分のなかにあるその弱さに気づいたとき、ああ、親父と同じだと思うだろう。
人間てやつには二種類あってな。一つは、できることでも、そうしたくないと思ったらしない人間。もう一つは、できないことでも、したいと思ったらなんとしてでもやり遂げてしまう人間。どっちがよくて、どっちが悪いとは決められない。悪いのは、自分の意思でやったりやらなかったりしたことに、言い訳を見つけることだ。・・・どんなことにも言い訳をみつけちゃいけない。
夢は金で買うものじゃない。まして売りつけられるものでもない。
本当に始めたい何かがあるなら、そのための金など要らないー当たり前の労働で得られる以上の金は要らないということを、和子は考えて見なかった。そして、何かを始めるために渡らなければならない石橋を叩いていると、次第に叩くことそのものに意味が生まれ始め、叩いて、叩いて、ついには橋が壊れてしまうことがあるということも、思いつかなかった。
万人が平等であるただ一つの場所、それこそが法廷である。
教育なんてのを見るのが面白いからだ。・・・「ただ世間には、目の悪いやつらごまんといるからな。象のしっぽに触って蛇だと騒いだり、牛の角をつかんでサイだと信じていたりする。連中ときたら、自分の鼻先さえ見えとらんのだ。ぶつかるたびに腹を立てんで、お前のほうからうまくよけて歩けよ」
いつの世にも、真の悪人というものが確かに存在するということだ。・・・あまた満ちあふれている悪質な金融犯罪も、それを考え出した一握りのものたちだけでは成り立つことはない。それを成り立たせ、実行し、蔓延させているのは、もっと大勢の追随者たちなのだ。
お前の親父さんは弱かった。弱かった親父さんの悲しかったところをわかるようになるときが、きっとやってくる。親父は弱かったけれど、卑怯者ではなかった。間違った方法で手にしたものの代償を、正しいやり方で払いなおそうとしていたんだ。そう思った。
退屈な小説は、主人公から脇役まで登場した途端に、それがどういう人物であるのか、生い立ちから性格までたちまち見えてしまって発見がないものだが、<説明>と<描写>の違いをわかっている宮部みゆきの小説には、そういうことは滅多に、いやほとんど起こらない。
以上
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