Campus Life 2022
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東急 大井町線東横学園女子短期大学 正門と講堂五反田時代の仮校舎(昭和4年7月撮影)大岡山第1校舎全景昭和20年代の校舎全景(現:世田谷キャンパス)場 所1929年の武蔵高等工科学校創立時から現在に至るまでの発展、進化の過程を示したパネルボードや、建学の精神である「公正・自由・自治」の石碑、本学を設置する学校法人五島育英会初代理事長である五島慶太翁の情報ディスプレイによる音声記録など、生涯と功績をわかりやすく紹介。先達の足跡をたどることができます。東急 東横線至 五反田至 渋谷「東京都市大学発祥の地」記念碑東急 池上線至 大井町大崎広小路駅に設置してある7 │ CAMPUS LIFE 2022東京都市大学グループの祖 東京都市大学グループ(幼稚園から大学まで8校を有する)の設立には、明治から昭和にかけ鉄道事業と教育事業に情熱をささげた1人の人物を忘れてはならない。その人物とは大東急コンツェルンを一代で築いた五島慶太である。『教育こそは国家社会発展興隆の基礎である。樹を植えるは十年の計、人を植えるは百年の大計』の信念のもと、鉄道敷設とともに沿線開発では多くの大学を誘致し、自らも学校法人五島育英会を設立した。五島慶太と本学はどこでつながるのか、その歴史をたどる。1923(大正12)年開業1930(昭和5)年開業1929(昭和4)年開業1929年(昭和4年)1932年(昭和7年)1939年(昭和14年)1949年(昭和24年)1956年(昭和31年)もっと都市大の歴史を知ろう!東京都市大学 歴史展示コーナー世田谷キャンパス 五島記念館[3号館] 1階エントランスホール(2号館側)《鉄道事業と学校設置》《創立者と五島慶太》武蔵高等工科学校設置【創立者】及川恒忠・西村有作・手塚猛昌校名の由来は1929(昭和4)年の設立の届け出に先立ち、教員と生徒が一緒に考えた。提案された校名は「日本」、「関東」、「東京」と既設校を連想する名称のものばかりであったが、発案者の一人が「武蔵」「武蔵野」と提案し「武蔵」に決定した。設立当初の校地・校舎は荒廃した工場跡であった。生徒たちは水道・排水工事、電気の配線、建具の補修など得意分野で奉仕協力し、教室整備に取り組んだ。武蔵高等工科学校移転・校舎新築当時、目黒蒲田電鉄専務取締役であった五島慶太は、武蔵高等工科学校の劣悪な校地・校舎の事情を知り、目黒蒲田電鉄所有の土地1,500坪に誘致した。あわせて校舎新築のため、電鉄より23,000円(現在:約1,300万円)の寄付をした。武蔵高等工科学校移転武蔵工業大学設置大岡山に移転してわずか6年で生徒増により教室が飽和状態となった。そのころ目黒蒲田電鉄社長であった五島慶太の格別の計らいにより、現在の尾山台に校地を設けた。1955(昭和30)年、校舎増築の資金調達の折には「私の保証で300万円を借りろというのか? ゼロが一つ足りないではないか」と五島慶太の大きさを物語るエピソードが残されている。東横学園女子短期大学設置【創立者】五島慶太女子教育の必要性を重視していた五島慶太は、自ら意欲的に携わり、1938(昭和13)年に私財17万円(現在:約9,000万円)を原資として、東横商業女学校を設置。その後、1955(昭和30)年に学校法人武蔵工業大学と合併、学校法人五島育英会の発足を転機に、1956(昭和31)年、東横学園女子短期大学を設立した。大崎広小路駅1927(昭和2)年開業大岡山駅尾山台駅等々力駅五島慶太

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