1905-1997
精神科医、心理学者;ユダヤ人としてアウシュビッツに収容され、奇跡的に生存。家族はすべて虐殺された。
WIKIPEDIAより


1欲求・動機・人間性に関する考察

 人間が集団である時の心理,ならびにすべての行動は動機に基づいて行われるとする社会的動機論により,災害避難時の決定行動を分析・考察する.皆川ら1)は,「行動は何らかの欲求を満足させようとするプロセスである」という考えからMurrayによって構成された社会的欲求2)およびそれと関連する本能により避難行動を分析することとした.本研究では,さらに,動機と人格に関するマズローの5段階欲求階層論,ならびにフランクルの人間性心理学により考察を深めることとした.

(1) Murrayの欲求理論3)
 Murrayは,「人間は何らかの欲求を持ち,人間の行動は欲求を満足させようとするプロセスである」とし,欲求リストを作成した.人間の心(知覚・思考・感情・態度・判断)や行動が,社会的な要因によってどのように影響されるのかを明らかにする学問である社会心理学によれば,社会的欲求及び動機・意図が人間の行動を引き起こす. Murrayは,社会的欲求を15に分類した.これらは達成動機・親和動機を研究したものである.その中から,災害時の避難行動に直接影響を及ぼすと考えられるものとして、達成、顕示、他者認知、秩序、支配、追従、親和、自律、及び養護の9の欲求を抜粋した.

(2) 欲求と関連する本能1)
脳科学者である林は,人間はさまざまな欲求に基いて行動することから,どのような欲求がさまざまな意思決定の過程で関係者のなかで形成されているかを踏まえたうえで制度を作りあげ運用してゆく必要があると指摘している4),5).林によれば,人間が作り出した複雑な社会システムは,脳が本来的に持っている生存欲求,知的欲求により作りだされた.
一方,生まれてから成長すると共に脳も成長し,自分を守りたいという「自己保存の本能」が育つ.左右対称,筋が通ったもののように統一・一貫性のあるものを好む本能「統一・一貫性の本能」は,人間がものを考える場合や,物事が正しいか否か等を判断する場合に影響を及ぼす.「統一・一貫性」はプラス面とマイナス面を持つ.プラス面は,入手した情報を統一・一貫性に照らし合わせ,正しいか否かを判断し,情報に新しい情報を加え展開させること,マイナス面は,自分と異なる意見を受け入れることができなかったり,別角度からの視点を見失い,思考の展開ができなくなることである.

(3) 志向性による欲求等のグルーピング1),4)
 災害発生に対して人間のとる行動は,これまで述べてきたように災害心理学,社会心理学ならびに脳科学の視点から理解することが可能であるが,そのような人間の行動や考え方を,皆川ら4)は志向軸という統一的なグルーピングで整理した. すなわち, 我が国の建設マネジメントの課題に関する社会心理学的な検討において,我が国の文化的背景を踏まえ,上述した本能と欲求は相互に関係性があるとして,集団主義的自己観とともにその志向性により以下のようにグループ分けした4).
Ø 集団志向軸 : 集団主義的自己観,集団欲求本能,統一・一貫性本能,秩序・親和・支配・追従欲求
Ø 達成志向軸 : 生存欲求本能,自己保存本能,達成・顕示・他者認知欲求
Ø 自律志向軸:知的欲求本能,自律欲求
生存欲求本能は皆川ら4)の場合,社会的地位を守る等の生存欲求として捉えており,達成志向軸に入っていた.これを災害避難に対応させるため,皆川ら1)は人間の直接的な死の危険が重要な意味を持つため,図-1に示すように生存欲求は達成志向軸から分離し,養護欲求と共に他の欲求と比較してより根源的で本来は優先されるべき欲求と考えることとした.



(4) マズローの5段階欲求階層論7),8)
マズローは,人が何かに動機づけられて行動するのは,無意識的な基本的目標または欲求があるからであるという立場で,今日では図-2のように示される,5段階欲求階層論を提唱した.
本研究の対象である災害からの避難においては,生理現象ではなく災害という事象に対して人間が社会的にどのように行動するかを論じることから,生理的欲求は考慮する必要はない.安全欲求は,避難に関わる全ての行動が安全でいたいという安全欲求から起こされるものであるが,その欲求の強さが妥当な判断を起こさせるわけではない.むしろ問題は,他の3段階の欲求が安全でありたいという欲求を阻害する可能性をがあることである.
所属欲求は,所属する集団や家族においての位置を切望する欲求である.具体的には,「接触,親密さ,所属などが満たされず,それへの渇望によるものであろうし,また広くみられる疎外感,孤独感,違和感,孤立感などを克服したいという欲求」8)である.承認欲求は,「第一に,強さ,達成,適切さ,熟達と能力,世の中を前にしての自信,独立と自由などに対する願望」8)であり,「第二に,評判とか信望,地位,名声と栄光,優越,承認,注意,重視,威信,評価などに対する願望」8)である.自己実現欲求は,「人は,自分がなりうるものにならなければならない.人は,自分自身の本性に忠実でなければならない」8)という欲求である.
欲求階層論の論点は,1)人が持つ基本的な欲求は個人差が少ない,2)相対的な優先度を基準に階層を構成している,3)低次の欲求が満たされるとより高次の欲求が現れる,4)欲求の階層と健康度には相関関係がある,という4点である7).



(5)
フランクルの実存分析と自己超越性9)-13)
フランクルは,図-3に示すように,
人生の意味は,「意味への意思」を持って,態度・創造・体験の価値を生むことにあり,特に自己超越的に態度価値を実現することにより,自己実現あるいは幸福が結果として得られるとした.自己超越とは自分自身の欲求と関わらないことを意味しており,利他性と通ずる.



他の動物が利用価値をもつのに対して,
人間に利用価値を求めるべきではないとし,良心という意味器官を用いて,自律的に束縛されず行動を起こすことができる人間の人格的価値の重要性を説いた.ここで,人間は「何かからの自由」と「何かへの自由」という二つの自由性を有しており,前者は束縛からの自由を,後者は行動への自由を意味している.特に後者の自由は良心に基づいて行動することの自由性であり,これこそが人間の人間たるゆえんであるとされている.自由性を有する行動により,未来は選択され得るのである.
また,人生の意味は,人により,日により,時間によって異なってくるものであり,
重要なことは人生一般の意味ではなく,各人の人生の個々の瞬間における態度決定などによる意味である.このことは,特にある特定の人間の判断が多数の人間の生命を危険に陥れたり,逆に救ったりすることになる,災害時の避難行動の選択では重要である.また,快楽への意志や力への意志は,意味への意志の喪失により生まれるとしている.このうちの力の意志は,自己顕示・達成・支配などの欲求の結果と見ることができる.
一方,
人間は必ず死ぬという有限性を有するが,行動を起こした事実は過去の事柄になることによって固定化され,永遠に生きるとした.また,体験すること自体にも価値を見出し,特に避けられない苦悩を体験することが,それが固定化され永遠化されることで価値となるとしている.特に,災害避難における行動が児童などの生死を分けるような状況で行った判断は,法的な責任論を超えて,判断者の言動として残り続けることに思いをいたすべきであろう.
マズローは人間の根本的な関心は意味への意思であるというフランクルの見解に同感している12),15).一方,フランクルは,
低次の欲求が満たされない時こそ意味への意思といった高次の欲求が差し迫ったものになることがあることへの考慮がなされていないことを,マズローの欲求階層論の問題として指摘した14).

(6) 各理論の関連性
図-4に皆川による志向性による欲求等のグルーピングと,マズロー及びフランクルの人間性に関する心理学理論との関連性を整理した.



マズローの5段階欲求のうち,第1段階及び第2段階の生理的・安全的欲求については,生命の危機を含む場合の根本的な欲求に対応する.また,第3段階の所属欲求は集団志向軸に,第4段階は達成志向軸に,第5段階の自己実現欲求は自律志向軸に対応するといえる.加えて,自律志向軸は,フランクルによる自己超越性による意味への意志の達成へも通じていると見ることができる.
マズローは,前述の通り,「低次の欲求が満たされるとより高次の欲求が現れる」としているが,自己超越性あるいは自律志向性は,より低次と言える所属・承認欲求あるいは集団志向性・達成志向性により阻害されうるという点は重要である.実際,フランクルは自己実現は結果であり,それを志向するものではないとしており,その考え方に近い整理が皆川らの志向性によるグルーピングであると言える.

参考文献
1) 皆川勝:極低頻度の災害に対する避難行動の社会心理学的な考察, 土木学会論文集F6(安全問題)Vol. 71 (2015) No. 2 p. I_191-I_198
2) 林成之:脳に悪い7つの週間,幻冬舎新書,2009.9.30.
3) 内藤誼人:手にとるように社会心理学がわかる本,かんき出版,2011.5.23.
4) 皆川勝:我が国の建設マネジメントの課題に関する社会心理学的な考察,土木学会集,Vo.68,No 4, I_33-I_44,2012.
5) 林成之:ビジネス<勝負脳>,ベスト新書,2009.2.11.
6) 林成之:脳に悪い7つの週間,幻冬舎新書,2009.9.30.
7) 中野明:マズロー心理入門―人間性心理学の源流を求めてー,アルテ,2016.5.
8) マズローA.H.(小口忠彦訳):改訂新版・人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ,産業能率大学出版部,1987.3.
9) フランクルV.E.(山田邦男・松田美佳訳):苦悩する人間,春秋社,2004.10.利用価値は人格的尊厳と無関係(pp.40-42)3つの価値(pp.119-122)態度価値の自由性(pp.130-131)苦悩の価値(pp.119-152)
10) フランクルV.E.(山田邦男訳):意味への意思,春秋社,2002.7.
11) フランクルV.E.(山田邦男訳):制約されざる人間,春秋社,2000.7.
12) フランクルV.E.(諸富祥彦監訳,上嶋洋一・松岡世利子訳):<生きる意味>を求めて,春秋社,1999.10.
13) フランクルV.E.(山田邦男訳):意味による癒し,春秋社,2004.2.

本稿は、未発表の原稿である。