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1わが国における
「世間」の存在と変革の難しさ

明治150年という視点で,明治維新からのわが国の近代化の流れといわゆる「社会」における変革の難しさを,阿部謹也氏の「世間とはなにか」(講談社現代新書)などの「世間」に関する著作のポイントを紹介しつつ,論じたいと思います.同氏は,一橋大学名誉教授であり,同大学学長や国立大学協会会長などを歴任された歴史学者です.専門はドイツ中世史で,その専門性から西洋における社会やそれを構成する個人のあり方と,我が国のそれらとの相違を「社会」と「世間」の対比から論じています.

江戸時代まで,わが国には「社会」や「個人」という用語は存在しなかったといわれています.明治維新をきっかけとして,西欧から”society”および”individual”という言葉が輸入され,その際に訳語が検討された結果,それぞれ,「社会」および「個人」と訳されることとなったそうです.この時期,西欧では11世紀から12世紀におけるキリスト教の浸透により,図に示すように,唯一神との関係の中で孤立した「個人」が確立され,その孤立した個人を構成者とする「社会」が形成されていました.一方,わが国では,明治維新で近代化を急いだために,「社会」および「個人」という概念が輸入されましたが,一神教が普及しなかったために,「個人」が確立されず,伝統的な価値観が温存された結果,「世間」という西欧や近代国家には見られないユニークな「組織」が残ることになりました.「世間」とは,「社会ではなく,自分が加わっている比較的小さな人間関係の環」であると,阿部は定義しています.例えば,学校の同窓会,企業やその部局,学会,学校や学校の学部・学科・研究室,家族などが「世間」です.日本における親子関係にあって,親が子に過度に影響を及ぼすのは,親も子も「世間」の一員だからであり,子は「社会」を構成する独立した「個人」とはみなされていないのです.



「世間」というものの特性,西欧との比較,影響と課題を一覧にまとめました.私たちは,このような特性を持つ「世間」の中で生き,活動をしています.第一には,お互いの有償の扶助である「贈与互酬関係」があるために,無償の扶助が成立しにくくなり,排他的・閉鎖的で,公共性が存在しにくいことが挙げられます.現在,西欧諸国では,「ソーシャルビジネス」,「ソーシャルインパクト投資」などが進んでいますが,わが国では,なかなか進んでいません.「世間」という身内での有償での相互扶助を基本としているためといわれます.第二に,「世間」という狭い「社会」の論理が優先され,過度の集団主義が存在し,他者の規範でしか自分の行動を規定することができません.その結果,論理的な議論は進まず,「世間」の中の声の大きい年長者に従うことが良いとされます.第三には,これらの結果として,改革は遅々として進みません.「世間」が与えられたものとして認識され,自分自身もその構成員であるため,それを変革するという意識が芽生えにくいためです.



これらのことが関連して,特に公共的な活動をしたり,無償の行為を広めたり,それらを推進するために改革を目指す場合に,「世間」という大きな障害が立ちはだかります. CNCPが目指すような活動を支える仕組みがなかなか育たない理由がここにあると思います.日本人は不特定多数の個人から成り立っている「社会」を対象として物事を考えることが苦手で,自分の所属している様々な「世間」の論理で物事を考える癖がついています.したがって,例えば世界の中のある地域で先端的な社会システムが出来上がっていても,それを我が国に導入しようとすると,「世間」を納得させなければならず,なかなか物事が進みません.

現在,建設分野でも新しい技術の導入が図られています.特に公共事業にあっては,官公庁やその部局という「世間」と,建設企業およびその部局という「世間」に属する「人」が進めることになります.結果,建設界という「世間」の中で,既存の建設プロセス,契約執行形態を大きく変更することなく実施できる範囲で,各社・各組織が最新技術を導入して,その有効性を示そうとしています.しかし,本来,最新の技術が効果的に利用できるような建設プロセスや契約執行形態の変革をしつつ,この技術を導入するべきなのです.しかし,そのように「世間」を変革する方向には向かいにくいのが日本という「社会」であり,それを構成する日本人は「個人」とは言いがたい「人間」なのです.

また,私は大学に勤務して40年近くなりますが,典型的な「世間」の中で働いていると感じることが多くあります.「研究室」,「学科」,「学部」,「専門分野」などの「世間」の論理を最重要とし,改革に関しては文部科学省や大学上層部からの外圧に抗しながら,自分たちの城を守ろうとしているように思われる時が少なくありません.「世間」の一員ではなく,「社会」の一員として,この社会をどういう方向に変革してゆくべきかの自己変革的な議論はなかなか進みません.「理系」と「文系」の違いを何かというと強調しようとする「理系」人間もまた,典型的な「世間」の一員と言えます.

あるいは,現在の日本は超高齢化社会であり,少数の若年層が多数の高齢者を支える,いわゆる「棺桶型」人口分布に向かって邁進しています.これを何とかするためには,出生率を上げるか,外国人の受け入れを加速するしか手はありません.しかし,日本という「社会」の将来のために子供をたくさん持とうという意識は,「世間」の中で生きている人々には生まれにくいですし,また,「世間」に異質な外国人を多数受け入れる方向には進めない「社会」といえるでしょう.

いくつかの例を考えてきましたが,この中から学べることは何でしょうか.私たち日本人は,「世間」という狭い組織の中で,「個人」を主張せず,周囲を気にしながら,当面は当たり障りのない言動を選択してきました.これからもその状況を変えることはかなり困難であると思います.このような状況は,先進国には見られない状況であり,かなり特異な国に住んでいるということを私たちは意識しなければならないと思います.そのうえで,様々な「世間」のなかで,意識的に「世間」としての特性に封印をして,多様な意見を認め合い,その中からリーズナブルな結論を導いてゆく努力を継続することが必要だと思います.「世間」が所与性を有する,すなわち与えられているものであることから,これらを実現することは容易ではありません.明治維新以前から現在まで引き続き維持されてきたわが国の「世間」というものを理解することが,そのための第一歩といえると考えています.

                      皆川 勝