Prof. MINAGAWA's News

1977年4月 3年生の頃,橋梁研究室メンバーに.同時に,FACOM270-30というコンピュータを利用開始.入力は紙テープ,記憶装置はドラムや磁気テープ.当時計算機が映画などに登場すると,紙テープリーダが紙テープをさーーーーーーっと読む様子や,磁気テープがくるくる回る様子が映し出されたもの.紙テープは参考ミスすると,はさみで切って不要な部分を取り除いたり,切り貼りで挿入したり,手動穿孔器で穴をあけたり...それでも,大掛かりな計算をしてくれるのでたいしたものだと感心したものです.

1978年 4年生.東京大学の大型計算機センターの計算機は,300BPSの音響カプラ-とアナログ電話で接続して利用.卒業論文の構造解析はすべて東京大学を利用.

1979年 情報処理センターができて,富士通の大型計算機が導入された.紙テープからカードへ入力媒体が変わった.また音響カプラ-と電話でセンターへ接続することも可能に.修士論文の実験データの解析にはAD変換機を利用させていただいた.ただし,研究室にパソコンはなく,修士論文はすべて手書き.図はすべてトレーシングペーパに手書き.自在定規で図を描いた頃が懐かしい.

1980年代初期 このころ研究室に初めてパソコンが入った.NECのPC-9801Eだったかな.富士通のFM-7やFM-8もこの頃入った.1台100万円もするものだった.9801系DOSパソコンが次第に数を増す.Epsonの互換機が安く研究室の主流となる.

1980年代後半 学位論文作成のためのRupoというワープロを購入した.しかしながら表示が2行のみで少し使ってやめてしまった.かわりにエプソンのDOS機をはじめて購入.20万円くらいしたかなあ.自宅のアパートにおいて,夜中まで解析計算や論文執筆に用いた.この計算機はしばらく使ってから調子が悪くなり,宅急便で業者に送ったら,行方不明になり,保険がきいて,新品の上位機種が手に入った.このときは嬉しかったなあ.それを用いて,無事,学位論文完成.

1990年 EWS(エンジニアリングワークステーション)の研究室への導入がはじまる.3年程で土木の各研究室にEWSを導入し,ネットワーク接続をする.しかしながら,本格的な利用は鋼構造研究室,応用力学研究室など数研究室にとどまった.

1991年 米国テキサスA&M大学に留学.マッキントッシュがはやっていて,衝動買いしてしまったのがClassic.コンパクトなデザインはすばらしい.スピードは望むべくもないが,ソフトも結構そろっている.帰国前,classicIIなどがでているため,売ろうかと思ったが,買い手が見つからず,日本へ持ち帰る.いまでも,オフィスの片隅においてあります.自前のパソコン購入2代目.

1992年 これより数年,研究室はマッキントッシュラッシュとなる.10台程度のパソコンはすべてマックで,もちろんネットワーク敷設.ドッキングステーション付きのノートパソコンをオフィスで利用し,必要に応じて自宅に持ち帰る.

1997年ころから 随時DOS/V機に切り替える.主として,情報処理センター及び土木情報ルームの環境に合わせるため.キャンパスネットワークも安定して利用できるようになる.個人用は基本的にノートパソコン.初代はIBMのThinkPad,2台は東芝のDynabook.オフィスではモニターに接続して,外出時には持ちはこぶ.,そして3代は...

2000年 VAIO(PCG-XR100E/K)はDOS/Vノートでは3代目.A4ノートなので持ち運びは原則なし.そのかわり,持ち運び様にサブノートとしてInterLinkを購入.

2001年 20台程度のPCはすべてDOS/V機.システムはwinまたはLinux(サーバ用).

2012年 PCはすべてWIndows7またはXP.サーバはUNIX系だが,7月9日の停電でウェブサーバが壊れた.研究室でサーバを持つのは止めにする方向.社会もクラウド及びシンクライアントに進むことはほぼ確実.今後は,ネット経由でサービスを買う時代.


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